瀬戸内海を見渡せる山裾に建つ家の庭。
梢の出身地について、作中では具体的な地名は出てこないが
インタビューや様々な場で広島県尾道市であることが明かされている。
一口に尾道市と言っても、範囲は上のとおり。
広島県の南東側に位置し、内陸から海の向こうの小さな島まで広がっている。
折原家の位置だが、CGから推測できる場所はほぼ絞られる。
中央の河のように細くなっている海と上の大きな橋。
この形に合う地形というと、尾道水道とその上に架かる新尾道大橋くらいしかない。
この大きな河のような海が尾道水道。右側のしまなみ海道が新尾道大橋だ。
尾道水道のうねりを貫く方角へ視線を延ばすと千光寺公園と書かれている所にぶつかる。
千光寺とは「大宝山権現院・千光寺」といって山の上に建つ寺院である。
つまり“尾道水道を見渡せる山”である。
この千光寺、そして麓までの一帯は観光名所となっている。
「古寺めぐりコース」「文学のこみち」「猫の細道」など山道を楽しませるものから
頂上の展望台まで数分で辿り着ける「千光寺ロープウェイ」まである。
尾道観光協会さんの「おのなび」から地図を拝借。
「古寺めぐりコース」ができるのも納得の寺の数。
これだけ寺があればハムポンポンも浮かばれるだろうよ。
この地図を見ておわかりだろうが、観光スポットは山の南東方面に集中している。
つまり新尾道大橋が眺望できる場所を訪れるとなると、否応なく観光客の群れに揉まれることになる。
私が初見で麓から頂上まで登ったルートはだいたい下のような感じである。
バッチリ観光ルートを通っている。
地図では雰囲気が伝わらないので、麓に近い辺りから上を見上げた一枚を。
民家と木々が交互に迫り上がっていくような街並み。
折原家からは瀬戸内海が見渡せるということだが、民家の庭先から海を見ようとしてもすぐ下の家に阻まれて見えないということも多々ある。
それに庭と言っても
勾配がきついため、こんなちょっとした面積の庭しか設けられないお宅がほとんど。
折原家のような広さのある庭はなかなか無い。
結局、海がよく見える所まで登ろうとすると、民家がほとんど見当たらない千光寺の敷地付近まで登ってしまうことになる。
家屋や木々に阻まれ続けていた道に、ようやく開けた場所が見つかり、海の方を向くと壮観な風景が広がっていた。
ようやく目的の場所に近づいた感じがした。
ここからもう少し階段を上った所に、広いスペースのある公園があった。
「共楽園」というそう。
中央に鎮座する電柱が非常に邪魔であるが、広々としたスペースは折原家の庭を思わせる雰囲気があった。
ちなみに前述のとおり一般家屋は麓付近にしか無く、この高さまで来るとほぼ皆無である。
ここより上に行くといよいよ千光寺本堂と展望台くらいしか無い。
千光寺の敷地に入ると、きちんと整備された平らな地面が広がり、一気に歩きやすくなる。
観光客は「小さな田舎町を楽しむ人」から「仏のご利益を受けたい人」に移り変わる。
人工物も、自然に馴染む情緒あるものからいかにも観光地らしいものへと変わる。
せっかくの絶景ポイントもご覧の有様である。
千光寺を通ってから頂上までの道は山の南側にあるので、新尾道大橋が見えない位置に移動することになる。
つまりこれより上は頂上付近まで景色を確認できる場所は無いのだ。
というわけで、頂上展望台。
さすがに良い眺めである。
ただ、CGの画角とまだ微妙に違っていた。
もう少し右下から撮りたい、というところだ。
と、今これを書きながら思ったのだが、
写真中央下にあるロープウェイ乗り場、
あのあたりから撮るとちょうどよかったのか?
ちなみにロープウェイ乗り場の左にある、屋根にくっついた道から風景を見るとこうなった。
これは完全にNGだ。
……等、思うところは多い。
結果としては、100点満点では無かったが、個人的に「共楽園」の雰囲気が気に入り、自分の心の中ではあそこがこずぴぃの家でいいよという気持ちだ。
そして間違いなく言えることは、あの風景が観られる場所は“山裾に建つ家”ではないということだw
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後日、余談など追記する予定です。
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2016.9.25 追記
「共楽園」についてもう少し詳しく。
山道を登り始めてから山頂に着くまでの道程のちょうど中間にくらいに位置していた。
だが実際のところ、初めから目指して登ると実はさほど遠くはない。
平坦な地上の一番近い登り口からほぼ一色線の階段があり、ゆっくり上っても10程度で着いてしまった。
この公園、写真ではわかりにくいかもしれないが、本当に広い。
それまでの細く曲がりくねった山道が嘘のよう。
ここより下に「猫の細道」というものができるくらい猫に縁があるようだが、実際、野良猫らしきものが数匹おり、ベンチの上や下を自由に陣取っていた。
早朝に訪れた際には犬の散歩をしてい地元の方が挨拶してくれた。
観光地である以前に住民から親しまれているようだ。
前日からの曇り空だったがなかなかな朝焼けが拝めた。
さて、話を折原家の庭に移そう。
地面の雰囲気は前述の通り「共楽園」の雰囲気が良いという感じだったが、その他の部分についていうと全く収穫は得られなかった。
まず、庭のブロック塀。
どこででも見かけそうな穴の空いたブロック塀だが、このあたりの民家ではそういうタイプのものはほとんど見つからなかった。
かろうじてこんなのが見つかった。山の南側にあり、当該の尾道水道は見えない位置にあるお宅だ。
敷地内の焼却炉に至ってはその姿形は全く見られなかった。
折原家の住宅についても良い結果は全く得られなかった。
“築50年以上が経っている木造の家は、昼間だと言うのに薄暗く、縁側の奥はよく見えない。”
という折原家。
古い日本家屋にはよくあるイメージの、庭に面した縁側。
再三になるが、そんな優雅な面積のとり方をできているお宅はほとんどない。
木造丸出しな家屋自体、それほどない。 あってもやはり、縁側などないのが現実だった。
梢の地元シーンにおけるCGについて、尾道出身である原画家の松尾氏が資料提供されてらしいが、その写真自体いつ撮られたものなのか不明なので時代感は合っていないのかもしれない。
更に余談。
梢が自宅の焼却炉で燃やした、地元高校の教科書や制服。
尾道の高校の制服をググったところ、印象としては「尾道北高校」「と尾道東高校」の制服のイメージが近かった。
実際、どんな制服かということだが、
セーラー服に対して熱い想いをお持ちのサイト、20世紀制服保護協議会さんがイラスト付きで北高、東高、それぞれ紹介されているのでご参照あれ。
いやほんと素晴らしい。愛する物への熱意が素晴らしい。
で、北高、東高どっちなんだという話だが、
猫ギターの教育論さんのこちらの記事に面白い話が書かれている。
掻い摘んで要約すると、
学力は北高>東高
ということになっているらしい。
では梢の学力は、というと、
作中では具体的に明瞭化されていないものの、きっとおそらく、東高なのだろうなと。
ということで、東高へ行ってきた。
ここで梢が1年以上過ごし、そしてあの事件が起きたのか、などと妄想に耽る。
この日は日曜日だったにもかかわらず、登校する学生がけっこういた。
勉強熱心なのか、部活動なのか。
いつもならこんなに情報が不確定な時点で記事にすることはないのだが、ここは広島県尾道市、私がいつもの東京のようにはしょっちゅう訪れられない場所である。
またいつか訪れられればと思いつつも、いずれともしれないので、このような形でまとめさせていただいた。
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2018.11.13 追記
こずぴぃの誕生日なので何か、とふと思い、
旅行時のツイートをまとめてみた。